I have a dream! (1.28 2000)
明日(1月29日)は僕の誕生日です。いや、なんも、何かくれっちゅうてんのとちゃうよ(笑)。

明日で39歳になります。この歳は僕にとって感慨深いものがあります。「あぁ、オレもあの人とおんなじになってしもうた・・・」という思いです。

先週から「ゴスペルを歌う上で最低このくらいは知っとかなあかんやろ・人物編」(笑)について話しています。第1回は、「JC」こと、イエス・キリストについて、でした。神の国を目指して生き、非暴力によって闘い、最後は十字架で処刑をされてしまった・・・そんな生涯でした。でも、そのイエスを「救い主(キリスト)」と信じる人が次々に現れて、そこにキリスト教の歴史が始まったんやったね。

生前、イエスはこんなたとえ話をしています。「神の国とは、一粒のからし種のようなものだ。蒔く時はほんの小さな種だが、大きく成長し、やがて空の鳥が宿るほどになる」。からし種、とは、クロガラシという植物の種で、仁丹よりも小さな種です。しかし大きくなると5mを超えるものもあるそうです。それと同じように「神の国」も最初は小さいけどやがて大きく広がっていくよ、というたとえ話です。イエスの周りに始まった「神の国」。それが、やがて大きく世界に広がっていくことを予言していると言えます。

そしてその言葉通り、ほんまに大きくなった枝があちこちに出来ていきました。今日はそのひとつの枝となった人についての話です。

その人とは、Dr.Martin Luther King Jr.牧師です。彼は公民権運動(アメリカの黒人差別撤廃運動)のカリスマ的な指導者でした。(アフロ・アメリカンの歴史や公民権運動の歴史については、歌でたどるゴスペルの歴史をぜひご覧下さい。)

キング牧師は、当時(1950年代)の黒人教会の姿に批判的でした。当時の黒人教会での説教はと言えば、「どんなに差別を受けても気にするな。神さまを信じて生きていけば、必ず天国に行けるから・・・」といったものやった。しかしキングは「それはまやかしだ。現実逃避の考え方だ!今この時の現実をこそ変えて行かねばならない!その先にあるのが『神の国』だ!」と考えた。そしてその思いを実行に移して行ったのです。

彼が最初に赴任したのは、アラバマ州モンゴメリーという、全米でも指折りの差別のきつい街だった。その街で起こった不当な事件(バスの座席を巡る事件・・・これについては次週)をきっかけに、差別撤廃運動に関わって行きます。彼が差別事件を起こしたバス会社と市当局に対する抗議として選んだ方法、それは棒や石を持ってバス会社を襲撃する・・・ということではなかった。「バス乗車拒否運動」。つまり、その街に住む全ての黒人たちが、目的地までバスに乗らずに歩いて行く、という運動を起こした。バス会社にとっては、黒人たちのバス賃は大きな収入源であり、それが入ってこないことは大きな痛手となる。そして黙々と歩く黒人たちの姿こそ、何よりも大きな抗議のアピールとなったのでした。

つまり彼のとった方法は「非暴力」です。キングはこれを、インド建国の父・ガンジーとイエス・キリストから学んでいた。(よく「無抵抗主義」と言われるけど、あれは間違い。抵抗してるもん。言うなら非暴力不服従です)この運動に対し、白人たちから様々な嫌がらせや脅迫を受けたけど、それにもめげずにやり続け、1年後に「バス座席の差別は不当」の最高裁判決を勝ち取ったんや!

それ以来、キングは全米の公民権運動の指導者として活動を展開していきました。そして1963年8月28日、首都・ワシントンD.C.に集まった25万人の人たちの行進(ワシントン大行進)の先頭に、キング牧師がいました。彼らは手をつないで「We shall overcome」を高らかに歌って、差別撤廃を訴えて歩きました。そして広場に集まった人たちを前に、キングは歴史に残る演説をした。それが「I have a dream!」です。抑圧された黒人たちに自由と平等を与えようという運動は、もう誰にも止めることができない・・・そんな風にすら思える光景やった。

しかし・・・・。1968年4月4日、テネシー州メンフィスという街で、キング牧師は彼のことを憎む白人男性の銃撃を受け、暗殺されました。39歳でした。

誰かに似てへん?神の国を求めて、非暴力で闘い、そのために殺された・・。イエスといっしょや。イエスと同じような生涯をキングは歩み、イエスと同じような死を、キングも強いられていった・・・。でも、それですべて終わりではなかった。キングの意志は多くの人に引き継がれ、神の国を求める夢は、いろいろな場所で現実のものとなっていきました。アメリカは今も問題を抱える国ですが、しかし60年代とは比較にならないくらい変えられてきています。

キングの肉体の生命は滅ぼされました。しかし、彼の「いのち」は消えてなくなったのではなかった。イエスのいのちが今も生き続けているように。

「夢」は今でも生き続けています。


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